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聴き手に委ねる | 作詞のやり方


 曲を作る上で、何よりも拘っている作詞

 

 昔から言葉を書くということが好きで、幼少期は俳句や詩を書いて賞をいただくこともありました。自分の曲を作ってみたいと思った時、やっぱり最初に取り掛かったのは言葉を紡ぐこと。そして、いくつも曲を作ってきましたが、その中でやっぱり一番こだわってしまうのは歌詞でした。

 おそらく多くの人が好きな曲を決めるにあたって(わざわざ決めにいくというよりかは自然に好きなることの方が多いとは思いますが)、歌詞の内容というのは極めて重要度が高いのではないかと思います。歌詞に共感できるところや魅力がなければ、あまり聴くことはないでしょう。

 その点で恋愛の曲というのは多くの人が共感しやすく、感情移入しやすいため、多くのヒットソングは恋愛の曲がほとんどです。しかし私は断固として、「明らかに恋愛だよね」というような曲をリリースしたことはありません。

 

 

 

絶対に曲げない歌詞を書く際のこだわり

 

 なぜ、「明らかに恋愛だよね」という歌詞を描かないのか。それは私の歌詞を書くときの”こだわり”にあります。

 

 まず一つ目は、フィクションは入れてもいいが、嘘は絶対に描かないこと。

 

 ここでいう嘘は、思ったことや感じたことなどについてになります。

 例えば、親友に裏切られた曲を作るとします。本当は悔しくてたまらないけど、「君のおかげで、、」などと無理やり綺麗事で締めくくろうとすることは絶対にしません。もちろん本当にそう思えたならそう描きますが。

 

そしてフィクションは、情景や人、時間帯、温度などです。

 

 歌詞を書くときには情景描写を基本入れていますが、その情景描写は辻褄が合えば、実際あったものと異なるものがあっても良いと思っています。カレーを食べてるときに裏切りを知ったのか、シチューを食べてる時に裏切りを知ったのか、これは細かく正確に描かれてもそこまで伝えたいことに影響はありません。実際シチューだったとしてもカレーの香りの方が描写しやく、聞き手も想像しやすければカレーにした方がいい、それくらいのものです。

 

そして2つ目は、全てを語りすぎないこと。

 

 当たり前のことではありますが、「私は朝8時に家を出て、電車に乗って学校に行った。電車は満員電車で座ることができず…」などと長く描かれては文字数も多ければ情報量も多い、何が伝えたいのか本筋にたどり着くのに時間がかかります。

 小説もそうですが、ある程度想像の余地を与えることが大事だと考えます。さらに作っているのは音楽です。文章だけではなく音でも表現します。なので歌詞で多くを語りすぎてしまうのは非常にもったいないです。

 

 

 

言葉に正解はない

 

 何事もですが全てに共感してもらうというのはかなり難しいことです。自分の状況や環境に置き換えて共感してもらう、これが私の「フィクションは入れてもいいけど嘘は入れない」「全てを語らない」の本質です。そして、「明らかに恋愛の曲だよね」を作らない理由です。

 恋愛の描写をしてしまったら、恋愛の曲にしか聞こえなくなる。失恋した人が聞いたら失恋ソングに聞こえるかもしれないけど、大事な人が亡くなった人が聞いたらその人とのことを思い出して聞いてくれるように、そうやって聞き手に自由をある程度与えたいのです。

 

 

 私の思惑とは別に、いろんな解釈があっていいと思いますし、そのほうが面白い。

正解を敢えて教えない、それが私の作詞のやり方です。

 

まぁ、あと単純に、恋愛の曲はどうしても綺麗事を並べてしまいがちになるので、自分に嘘をついているようなそんな気分になります。

なので、納得いくものができないのです。

 

 

 

 このほかにもたくさんの拘りポイントがありますので、また少しずつ書いていこうと思います。

これを読んで私の歌詞に興味を持った方は是非、曲を聴いていただけたら嬉しいです。

 

 

 

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